祝島の記憶 1966年(昭和41年)8月
■祝島写真展ポスター(平成22年8月13日~15日 祝島公民館)
■祝島写真展のチラシ
■「祝島の記憶」写真集 (展示内容と若干異なっています)
https://photos.google.com/album/AF1QipPblNIeSA_pTuAk54MVxJMN8Gh_Z2paZadARNK8?hl=ja
■今、祝島の海が危ない!! 祝島の海を守ろう!
↓ここをクリックしてください。
https://photos.google.com/share/AF1QipOH_YAPerEefOcEDGmDmyCX4KTQ42vutLs9qTiHUXJ58Z0wR3Oxa63hkpl10MDJaQ?key=NF91aUpXU3NTTzFUM0xsYl9GVE1LMG54X3plZjNn
KRY山口放送製作の「風の民 練り塀の島」 (2010年11月14日放送)はこちらから見ることができます。
■残念ながら、デジタルバージョンは著作権の関係から削除され、見ることができなくなりましたが、
アナログバージョンは、こちらから見ることができます。
1) http://www.veoh.com/watch/v20592542FWC9ZQNP
開始後6分あたりに、私が撮った昭和41年の祝島の写真が使われております。
2) http://www.veoh.com/watch/v20592590eNgcSK2k
DVDを持っておりますので、連絡くださればお貸しいたします。
問い合わせ先e-mail: shirai71008655@gmail.com
090-7100-8655 白井淳一まで
■柳井港から定期船で1時間あまり、周防灘と伊予灘に面した瀬戸内海の西のはずれに祝島はある。
昔から台風の通路にあたり、村の家々は石垣で囲まれ、細い路地が入り組んでいる。
島にはこれといった広場はない。
しかし、島には心の通う「広場」があった。
大阪府立大学の写真部は、昭和41年8月に祝島で合宿を行い、4日間にわたり島の風物を撮影した。
ここに掲載した写真は、「島の広場」チームの組み写真である。
(個人情報へ配慮が必要ではあるが、昔のことでもあり、今となってはご本人に了解が取れないので、
無断掲載することをご了解いただきたい)
■祝島写真展のチラシ
■「祝島の記憶」写真集 (展示内容と若干異なっています)
https://photos.google.com/album/AF1QipPblNIeSA_pTuAk54MVxJMN8Gh_Z2paZadARNK8?hl=ja
■今、祝島の海が危ない!! 祝島の海を守ろう!
↓ここをクリックしてください。
https://photos.google.com/share/AF1QipOH_YAPerEefOcEDGmDmyCX4KTQ42vutLs9qTiHUXJ58Z0wR3Oxa63hkpl10MDJaQ?key=NF91aUpXU3NTTzFUM0xsYl9GVE1LMG54X3plZjNn
KRY山口放送製作の「風の民 練り塀の島」 (2010年11月14日放送)はこちらから見ることができます。
■残念ながら、デジタルバージョンは著作権の関係から削除され、見ることができなくなりましたが、
アナログバージョンは、こちらから見ることができます。
1) http://www.veoh.com/watch/v20592542FWC9ZQNP
開始後6分あたりに、私が撮った昭和41年の祝島の写真が使われております。
2) http://www.veoh.com/watch/v20592590eNgcSK2k
DVDを持っておりますので、連絡くださればお貸しいたします。
問い合わせ先e-mail: shirai71008655@gmail.com
090-7100-8655 白井淳一まで
■柳井港から定期船で1時間あまり、周防灘と伊予灘に面した瀬戸内海の西のはずれに祝島はある。
昔から台風の通路にあたり、村の家々は石垣で囲まれ、細い路地が入り組んでいる。
島にはこれといった広場はない。
しかし、島には心の通う「広場」があった。
大阪府立大学の写真部は、昭和41年8月に祝島で合宿を行い、4日間にわたり島の風物を撮影した。
ここに掲載した写真は、「島の広場」チームの組み写真である。
(個人情報へ配慮が必要ではあるが、昔のことでもあり、今となってはご本人に了解が取れないので、
無断掲載することをご了解いただきたい)
この記事へのコメント
私は当時8才、きっと野生児のように走り回っていたと思いますので、会っていたかも知れませんね(^-^)今は奈良に住み大阪で働いておりますが、祝島出身です。祝島をこよなく愛する「ネット21」の発起人の一人です。
このような写真に出会えるとは思いもしませんでした。今は両親も亡くなりましたが、島には毎年帰省しております。静かなはずの離れ小島のあのにぎやかさとおばちゃんたち島の人の元気さや活気が好きで、毎年、元気と人間らしさをもらいに帰省しています(笑)。
また機会がありましたら、ぜひ祝島を訪ねてきて下さいね。本当にありがとうございました。
私は、大阪府立大学在学中に、写真クラブに属しており、昭和41年の夏に祝島で合宿を行ったことがあります。
たまたま、昔の写真作品を整理していて、祝島ネットのHPがあることを知り、懐かしさ
のあまりこのメールを書くことにしました。
40年余り昔のことで、記憶が薄れておりますが、総勢20人ほどが島の旅館(みさき荘)に泊り、グループに別れ島のあちらこちらを撮影しまくりました。
撮影の合間には、海で泳いだり、夜は島の神社まで一人で往復するといった肝試しをしたのも、今となっては楽しい想い出となっております。
祝島を合宿場所に選んだのは、今は廃刊になっている平凡社の「太陽」に掲載された緑川洋一さんの写真を見て感動下のがきっかけでした。
「祝島ネット21」は、祝島を愛する人たちのコミュニティだと思いますので、何かのお役に立てば幸いと思い、ブログに掲載いたしました。
このほかに私の手持ちの当時の写真を、電子アルバムとして公開する予定で、祝島ネット21事務局長の国弘さんに掲載を委託しましたので、まもなく公開されると思います。
「島っこ」さん同様に、この写真を見られた方が、当時を懐かしむ顔が目に浮かぶようです。
お問い合わせは jshirai@maia.eonet.ne.jp 白井淳一までお問い合わせください。